旅が旅と呼ばれなくなる日



なぜ人は、長距離移動のことを旅と呼ぶのだろうか?
なぜ人は"旅"という言葉に憧れを抱くのか?

"旅"と聞くと、仰々しい、
そしてそうとは意図しなくともナルシズムを感じてしまうことがある

もちろん心細さや恐怖を乗り越えて見る新しい世界は感動ものだし、
そこで出会う人々との一期一会の出会いも人生の醍醐味

いわゆる今の海外旅行が高価な時代は、
この旅はある人の人生の中で
一生の大切な思い出として残るものだったのであろう

その時の旅とは非日常であり
かけがえのないものであり
ナルシズムが見え隠れしても、
「そんなことは気にしないよ」と目をつぶってあげたくなるくらい
"旅"貴重な体験であり、真の"旅"と言えたのだろう

そんな私も、ドキドキしながら始めていった海外の1人旅の経験は
一生忘れないだろうし、"旅"として記憶をしている

そんな"旅"という言葉に不思議な感覚を抱いたのは
1人の旅も、電車に乗るような感覚で向かえるようになったここ数年

旅をテーマにしたメディアやコンテンツは多く、未だに人気があるが、
なぜそんなにも"旅"を特別なものとしてもてはやすのだろう? という不思議な感覚を抱いていた

そして最近この疑問がとけたのは、マレーシアでみつけた
Air Asiaの広告



NOW EVERYONE CAN FLY (今、誰でも飛べるよ(うになった)

まさにAirAsiaはアジア内の移動をEveryone(誰でも)Fly(飛ぶ)ことを可能にした
ローコーストキャリアなのだが、
飛行機に乗ることが1万円以内で叶う今、
"旅"は特別なものではなくなった

週末に気分転換に3万円もあれば海外旅行が出来る時代
世界を渡り歩き仕事をするデジタルノマドも増えている
毎週、世界中を引っ越しをしている人もいる

旅はLCCの登場で、人生で数度のものから1年に数度
お金がないと行けないものから誰でも行けるもの
つまり非日常なものから日常なものへと変化した

そしてこの変化はさらに加速して、
定住場所を持たず移動を続けるノマドは今後も増えていくだろう

私がウェブマガジンで提案しているデジタルノマド
にとって旅は生活であり、息をするようにそこにあるものだ

彼らは、旅人なのか?
彼らがしているものはそもそも旅なのか?

もちろんその道中では色々なドラマがある
風景や登場人物がしょっちゅう入れ替わるので、
それは華やかでドラマチックなものだろう

しかし彼らにとっては日常になった移動を"旅"と呼ぶには違和感がある
そろそろ新しい時代に向けた"旅"に変わる言葉が必要なようだ









MAHO JULIA TAKAISHI

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